タイムスリップ

そういえば、あの日も肌寒かったよな。

実家の自分の部屋。5月ごろはまだ肌寒かった。大学から家を出たのでもう10年以上も前のことだ。

 

 

空調で完全に管理されているはずの丸の内の高層ビルのワンフロア。22階の大きな窓の先には同じように大きな窓のビルが立ち並ぶ。浩史はパソコンに向き合いながら窓の外を眺めていた。

休日出勤は仕事が捗るようで捗らない。上司からも同僚からもクライアントからも連絡が来ない。平日に溜まったタスクを処理するのに都合がいいため浩史は定期的に休日働くことにしている。捗るようで捗らないのは、自分しかいないので余計なことを考えてしまうからだ。普段はフロアの窓のことなど気にしないし、気にしたことはない。

 

これはいけないと気づき、気を取り直して作業に向き合うことにした。

 

[P社_財務モデル]というExcelのファイルを開く。先週末に後輩のバンカーが作った資料だ。

 

開いた瞬間、G53のセルにフォーカスされていた。

 

A1だろ、と浩史は誰もいないオフィスで呟いた。

他人にExcelをチェックしてもらうときはA1のセルで保存しておくのがマナーだ。浩史が新卒で入社したときに先輩から指導されたことだ。キャリアを重ねるうちにそれがローカルなマナーであると知ることになるが新卒最初の指導は根深く、後輩の“マナー違反”はどうしても許せない。

 

「P社のモデルOKです。ありがとう。あとExcelファイルはA1セルで保存しておいてくれると助かるな!」

 

後輩にメッセージを入れる。

 

時計を見ると17:00になっていた。今日はこのくらいにするか。

 

 

デスクを片付けた後、気がつくと自宅の最寄り駅についていた。正確に言うと機械的に片付けをして電車に乗ったため、その期間は何も考えていなかった。改札を抜けて右に折れる。まっすぐに伸びる商店街の先から夕日が指している。

 

かなり日が伸びたな、と思った。

 

 

商店街を歩きながら、夕食は何にしようかと考える。どうせいつものコンビニのおにぎりなので考えるだけ無駄だということはわかっていた。

 

夕日が眩しいので下を向いていて気づかなかったが少し前に人が歩いているのが見えた。

 

眩い光。尻肉が所狭しと詰め込まれたタイトスカートが見えた。

 

浩史の視線は釘付けになり、動かしたくても動かせなくなった。

 

「おいおいおい、いやらしいねぇ」

 

顎の下に手を当てた浩史は中尾彬になっていた。

「たまんないねぇ」

 

今度は藤岡弘である。

 

学生時代に友人とふざけた遊びを浩史は今でも続けている。変わんないな、と浩史は呟いた。視線は前を歩く“お姉さん”を捉え続けている。お姉さんと言っても35歳の浩史のお姉さんなのでいわゆるアラフォーくらいか。女性のタイプは年相応になっているらしい。

 

前を歩くお姉さんが右に曲がった。横顔が見えそうになったので視線を外した。

見てもいいことはないからだ。もう少し定量的に言うなら見てもいいことの方が少ない、ということだ。

 

浩史は家に帰るなり、パソコンに向かった。ちょっとだけ急いでいた。

 

パスワードを入力する。ブラウザを開き、ブックマークからxvideosに飛ぶ。

 

“MILF”

 

商店街を歩いているときから決めていたことを素早く、着実に進めていく。

 

これだな。

その日のパートナーを決めるのに時間はかからなかった。商店街の景色と重ね合わせる。

 

マウスのカーソルをサムネイルに合わせる。

これだ、間違いない。自信が確信に変わる。

 

ベルトを外す。ズボンを脱ぎ捨て、下着を下ろす。

 

クリック。画面が遷移する。

いつもより時間がかかっている気がする。

見慣れた画面に変わる。

 

あとは再生ボタンをクリックするだけだ。

 

 

浩史は天井を見上げた。

5月下旬。

 

そういえば、あの日も寒かったよな。